ローカル線温泉旅行旅 講談社現代新書新書 嵐山光三郎著 [鉄道本]
最近、おじさんが書いた紀行文ばかり読んでいる気がするが、それは自分が、おじさんだからなのか、おじさんの文章が読みやすいからなのか、はたまた、紀行文は、おじさん著者が多いからなのか分からない。
本書の作者も、おじさんである。
本が刊行された2001年当時59歳。
その足で各地の名湯、名宿をめぐる。よくもまぁ、ご存知でと感心してしまうほど、色々な店や宿が登場する。
2017年の現在では当然とした情報は古いのだが、文章が面白くエッセイとしても楽しめるので飽きない。
特に氏の特徴である当て字を入れた文体、例えば、中年麗人(おばちゃん)や、虚実皮膜(ユートピア)、安眠道楽(リラックス)と、独特の擬音、例えば"打たせ湯は、ヅーッダバダバ・ダバダバダ・ダーと肩胛骨にまとわりついて世話を焼き"という具合でリズム感良く読める。
因みに、この打たせ湯は、ホテル祖谷温泉の湯の描写で露天風呂まで
ケーブルカーで移動するのが特徴だ。
肝心の鉄道は、車両というより沿線の情景や駅弁の話がメインだ。
それでも、駅弁の描写は簡潔秀逸で、"かきの煮汁で濃いめに炊いた茶色の飯の上に牡蠣の煮付け四切れと浅蜊の煮付け七切れ"は厚岸の牡蠣弁当だか、本当に美味そうだ。
流石の元、太陽の編集長である。
まあ何とも、湯に浸かり、美味いものを食べた気にさせるの上手い本でした。
寝台特急 日本海 からの 北斗星 [JITOZU_車両]
参照MAP
写真は、青森駅における 寝台特急 日本海 の回送前のシーンだ。
日本海や、あけぼのなど当駅着の寝台にとって馴染みの光景であった。この作者もまた、降り立ったその足で撮影したのだろうか?
ダグをブルートレインとして検索しても同じであった。
MAPに表示する、読み込み元のFlicker自体は、2006年ごろからジオタグに対応している。よってインフラと言うよりGPSの普及と関係しているのかも分からない。
この一件で、北斗星もやはり昭和のブルートレインである事を、実感させられたのである。
その昭和のブルートレインも無くなって久しいが、写真を見ると、あの時この時の記憶が鮮明に蘇る。記録の中に生き続ける、ブルートレインである。
倉吉線 のよもやま [JITOZU_施設]
参考MAP
最近、廃線ダグを追加したのだが、その効果で数々の魅力的な写真が追加された。
その中から、今回ご紹介する写真は1985年に廃線となった国鉄倉吉線の跡だ。竹と線路のコントラストが美しく、車両が今にも通過しそうな佇まいである。
Wikipediaによると、この路線の特徴は、"当線の線路等級が低く(簡易線)、30kgレールが用いられており、その後の高規格化工事も行われなかったため"運行速度が遅かった様だ。表定速度は15.1km/hらしいが、こう聞くとプレス・アイゼンバーンの本、"自転車に抜かれたコッペルたち"を思い出す。そんなスピード感だろう。
因みに、その模様を映した貴重な映像があったので紹介したい。
1984年 国鉄 倉吉線 超鈍足 DE10+旧型客車
また、現在廃線あとに倉吉鉄道記念館、が作られ、資料から当時の様子をうかがい知ることができる様で、なんとも愛されている廃線だと感じる。
私の知る、倉吉線に関係することと言えば、
所蔵書物、鉄道建築協会編"国鉄建築のあゆみ" に掲載された倉吉駅だ。
この駅舎は、1971年12月に竣工された。そして、駅名を当初は倉吉駅、倉吉線開通後は、その名を倉吉線の打吹駅に譲り、72年から倉吉駅に戻っている。
写真の駅舎は建て替えられ残っていないが、この駅舎のファーサイドの中庸な姿は、前回取り上げた合理的モダニズムの代表格だろう。そして、現在の倉吉駅は、ガラスのファーサイドになり、これまた、他駅にも多用される手法で現代的な合理の賜物の様に思える。
話にまとまりがなくなってしまったが、もとを正せば、竹と線路のコントラストだった。
こんな場所に、一日中留まり耽りたいと感じます。
昭和の鉄道情景 「活写」 [鉄道本]
活写とは、"物事のありさまを生き生きと描き出すこと"(大辞泉より)だそうだ。
恥ずかしながら、活写の意味を知らなかった。この本は蒸気機関車の最晩年の記録を、写真と文章により活写した本である。
第1作ではC62によるニセコ、第2作では布原D51三重連にフォーカスを当てて、添乗の記録を含め、力強い写真を載せている。
また、後半には当時の国鉄の車庫に佇む車両記録や、廃止前の下津井電鉄を載せるなど、どれも貴重で、羨ましい記録だ。
全体的には荒々しい編集で、本としての全体感は欠けるが、それを個々の写真が補っている。文章も著者の思入れが強く出ているが、
それが、記録としての文章とうまい具合混ざっていて、楽しく読めるのは著者の思うところだろう。
しかしこのシリーズ、この二冊で終わってしまったが、その他のものは、あとがきに述べられている、"作者のものを書いたりするかとを仕事にしてきた小生にしてみれば、「許せない」"ことだったのだろうか?
ちなみに、これ以降著者は、「稀車珍車・好き―趣味的にみた車輌」を始め、2008年ごろまでに、次々とマニアックな本を出している。
ちょうどその頃、大宮の鉄道博物館が開館したりと、鉄道ブーム再来の時期であった。
そうした時期に、かつてのブームの体験者の記録を出版する所に、時代を感じられ意義がありそうだ。
そう、鉄道趣味に復帰した世代に、懐かしい、羨ましいと心に響くものがあると思う。そして、今からでも頑張ろうという気にさせてくれそうだ。この本からは、そんな力を得られる気がしてならない。
昭和の鉄道情景「活写」―1971年小樽築港 (〓文庫 (047))
- 作者: いのうえ こーいち
- 出版社/メーカー: エイ出版社
- 発売日: 2004/01/01
- メディア: 文庫
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国鉄型のモダニズムと 新潟駅 [JITOZU_施設]
参考MAP
新潟駅の万代口の駅ビルの写真だ。柔らかみと、ちょっとフィルム感があり、個人的には
好きな写真。
そして、どことなく、昔の駅ビルを感じさせる建物で、懐かしさを覚える。また、ビルには、JR東日本の子会社が運営する、CoCoLo万代が営業し、そのほかにJR東日本新潟支社、JR貨物新潟支店が入っているそうだ。
さいきの駅舎訪問さんのサイトによれば、昭和33年改築とある。
改築の程度は分からないが、昭和33年と言えば、前川國男氏による、晴海高層アパートの竣工や、丹下健三氏の香川県庁舎の落成など、日本的なモダニズムの波が押し寄せていた頃だが、この駅舎もその影響があったのだろうか?
ズラリと並んだ窓が、そう見えないこともない。もっとも、この時代の国鉄の駅舎は、どこもこんな感じであった。これは、国鉄による、合理的な設計という思想の申し子であろう。
この流れには鉄道省、建築課が絡んでいるのだが、建築雑誌、10+1 の国鉄の建築の記事に詳しい。
記事によれば、"国鉄の建築組織は(中略)その合理主義的実践から2度の日本建築学会作品賞を受賞するなど、当時はモダニズムの一翼を担う組織として認知されていた。"
とある。やはり、経費の合理=モダニズムという解釈で、影響があったことが分かる。
ところで新潟駅は、現在、在来線の立体化工事を進めているそうだ。そして、計画自体がかなり遅れているが、この駅舎もいずれ新築される様である。
50年間も見慣れた駅舎が、いつの日か無くなると思うと、地元民でも無いのに何だか、愛おしくなりそうだ。ちょっと見ておきたい心持ちなってきた、今日この頃です。