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寝台特急 日本海 からの 北斗星 [JITOZU_車両]

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参照MAP

写真は、青森駅における 寝台特急 日本海 の回送前のシーンだ。
日本海や、あけぼのなど当駅着の寝台にとって馴染みの光景であった。この作者もまた、降り立ったその足で撮影したのだろうか?
JITOZU/MAP機能では、"寝台"のダグを使っているのだが、表示される寝台の種類は、2010年以降にも運行していたものに限られる。

ダグをブルートレインとして検索しても同じであった。
(タグ検索機能は、管理者用)

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MAPに表示する、読み込み元のFlicker自体は、2006年ごろからジオタグに対応している。よってインフラと言うよりGPSの普及と関係しているのかも分からない。

この辺りについては、ゆっくり考察して見ると面白いかも知れない。
さて、かつて私も日本海に乗車したことがある。それは、廃止の前年2011年の事で
この写真と同じ年の12/26だ。
そして当時、旅程を記録に残すべくブログを作った。青森到着時の様子はこちら。
この年は寒波が厳しく早々に駅を退散し、朝からポン酒で温まった。その後、同じく寝台の上り、あけぼので帰京予定も大雪で運休。
思案する間も無く、北斗星での帰京に変更。善は急げと函館に向かい、北斗星乗車と相成った。


寝床は、解放B下段。年末の東京行きは、まずまずの乗車率だった。
そして何より印象深い出来事は、朝の車内での一言だ。当時のブログから引用したい。


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この一件で、北斗星もやはり昭和のブルートレインである事を、実感させられたのである。
その昭和のブルートレインも無くなって久しいが、写真を見ると、あの時この時の記憶が鮮明に蘇る。記録の中に生き続ける、ブルートレインである。


静岡の中の関西 21000系 [JITOZU_車両]

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参考map
写真は、大井川鐵道、福用駅近くの桜と21000系の様子だ。
この福用駅から大和田駅に続く区間は、桜の見応えのある区間らしく、シーズン中は多くの鉄道写真ファンが駆けつけるそうだ。


そして、この21000系も味がある車体だ。
昭和33年製造の同車。よくぞ今でも稼働するものだと感心してしまう。言うまでもなく、関係者の努力の賜物ではあるが、この年代の車両作りの丁寧さもあるのではないか。


それは、川島令三氏が著作「私の電車史」の中で述べている言葉が体現している。
"元私鉄のしっかりとしたつくりの車両をみたりすると、関西の鉄道マニアは、(中略)私鉄の豪快さが印象に残り、私鉄一辺倒に、なってしまうのである。"
わたしも同感で、関西の私鉄は国鉄との競争に熱かった影響なのか各社の車両は、独特の発展していった様に思える。


この21000系も、面作りこそ当時の流行りだった二枚窓湘南スタイルだが、南海独特の車内読書灯の上手さにアイデンティティを感じる。

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写真は、私が撮影した一畑電鉄の21000系の車内だ。
その取り付け位置、明るさ具合が絶妙で、ロングシートでの新聞読書に最適だ。
かつて、フランスのTGVに乗車した際も、同様の照明が付いていたが、南海の方が圧倒的に早く取り入れていた。先見の明があるという事だろう。
あくまでTGVの話で、そのほか車両にも付いていたかも知れませんが。。


さすがにシートのよれなどは、否めませんが、今こそ大井川鐵道で、作りの良さを体感することをお薦めします。


400系 が残したもの [JITOZU_車両]

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参照Map

写真は、そのタイトル通り、山形新幹線の甲種輸送の風景だ。
1990年代始めは、1992年の山形新幹線開業に合わせ400系の製造が盛んに行われた時期。しかも、EF66+シム1000+400系の豪華編成だ。

400系が登場した時は、新しい時代が来た!と思った。在来利用の運行、200系との併結など、カラーリングと共にシステムそのものがこれまでにないものだった。

勝手に、ローレル賞が取れるのでは?と応援していたが、400系の運行開始の92年は253系とキハ200形。やはりローレル賞は、車両を対象とした賞だったと納得した。


その当時、しくみを讃える鉄道賞があっても良いのにと思った。今で言う日本鉄道賞といったところだろうか。


400系についての私の思い出は、座席の構成と、峠駅で見た姿である。
座席の構成は、新幹線初の普通車で2x2であった。これほ、宇都宮や那須塩原など特に短距離利用の場合に重宝した。窓側に座っても出やすいし、併結している場合、400系側の方が空いていた。これは、なんとなく気楽である。ちょっとそこまでには、もってこいの車内空間だった。
現在も、同様の座席構成だが、私の、この感覚は400系で生まれたのである。


もう一つは、峠駅である。
2009年ごろだと思うが、先輩らと当駅を訪れた。そこで、目にした新幹線こそが400系であった。この時は、駅近くの喫茶店で、峠を越えるEF71の写真を拝見した直後で、今も昔も峠越えの雄壮は、変わらぬと感じ入った記憶がある。


その時撮ったブレブレ写真を掲載します。
長くなりましたが。やはり400系は、カッコ良かったと思います。
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キハ40 系列の旅情感 [JITOZU_車両]

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参照マップ
写真は、筑豊本線 藤ノ木駅における、キハ47の車内の様だ。運転士さんと思しき背中、クロスシート、そしてフィルムカメラを思わせるボケ感、色合いとキハらしさを感じてしまう一枚だ。
この路線は、現在、819系架線式蓄電電車
が運行され始めている。
時代的には正しい方向だし、毎日利用する地元の方々にとっては、ちょっとした乗り心地も疲れに影響するので、歓迎すべきことと思う。

しかし、キハ40系列で旅情を知ってしまうと、ちょっと寂しいものである。

さて、このキハだが、写真をよく見て見ると9042だと分かる。こうなってくると、その歴史が気になるが、調べるとすぐに判明した。

九州の気動車に魅せられてというブログによると1979年製であることが分かる。機関換装などの改造を受け、しかも、種別幕は103系からの転用との記載も。

生き残るキハ40系列を見ていると、大抵、改造を受けていてある意味、古いモノを大切にする究極の姿と感じてしまうのは、鉄道ファンのエゴだろうか?
登場からの年数も気になるが、もう少し、活躍して欲しいと思います。

ムーライトながら と 臨時快速大垣 行き [JITOZU_車両]

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参照マップ
この写真は、大垣駅における、上りムーンライトながらの様だ。写真が撮られた当時は、まだ定期列車で、車両も特急用の373系という豪華な設であった。

というのも同時期に、季節によっては、臨時快速大垣行きが走っており、こちらは、165系で運行されていた。

私も何度か、この快速に乗車したが、全車指定のムーンライトに比べ、全車自由の当快速は、発車の2時間前から並ばないといけなかった。列車に乗るために長時間並ぶ。この事自体が昭和の鉄道感である。それに加えてボックスシートの座席が昭和の夜行旅を演出していたが、寝るには厳しい状態だった。
そして、シートを確保できなかった強者の中には、新聞を敷いて床寝する輩も居たのである。
という事で、先に発車するながらの乗客の余裕ぶりを尻目に、ギチギチの車内で車両の味わいを楽しむ他無かったのである。

因みに、373系のながらにも乗車したことがあるが、当然、座席は素晴らしいかった。しかし、373系はデッキがないため扉が開閉する度に気になり、なかなか寝付けなかった。やっぱり、デッキは、大切だなあと思った瞬間である。
現在、ながらは、臨時快速化して185系で運行中だ。こちらは非ボックスシートかつ、デッキ付きのため、個人的には快適そのものと感じてしまうが、実際にはどうなのか。乗車して検証する必要がありそうだ。

ながらについては、このサイトも面白かったので、リンクを貼っておきます。

9600形 の 産業工芸品的価値 [JITOZU_車両]

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参照マップ
これは、富山城址公園の保存車両の、
9628の写真の様だ。9600形の初期型で
あり大変貴重な釜だと思う。
屋根付きの、こんな恵まれた環境に
保存されているとは知らなかった。
個人的には、日本の蒸気機関車の中でも、
魅力ある釜の一つであると思っている。
ボイラーを動輪上に乗せたが故に、
ボイラーの横幅が制限され従って
ボイラーは、高さ方向に伸び
ずんぐりとした形体になった様だ。
しかし、そのどっしりとした佇まいからは、
力強さを感じてしまうのである。
またキャブ側面などカーブを取り入れ意匠も、
工芸品的な美しさがある。
製造数も700両以上と多く、保存車両も多い
方だと思う。
写真の釜もそうしだ車両の一台だが、
他所で多くの人が指摘している様に、
状態が良くない。
屋根があるので腐食は少ないが、
部品の盗難が多い様だ。実際、
この写真からも、車番プレートが無い
ことが分かる。
大正生まれの工芸品を、末長く残せる様に
願いつつ、保存会などの組織的な活動に
期待するしか無いと思います。


485系から感じる列車の面相。 [JITOZU_車両]

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のりものを題材にした絵本作家の
山本忠敬さんの言葉に、「乗り物の正面性」を
大切にしていた(母の友2014/2月号より。)
のことだが、意味はどうあれ、私もやっぱり
鉄道の正面すなわち顔は面白いと思う。

そして顔の違いがどれ位分かるか?
という事は、鉄道ファンの一つの醍醐味に
なっているのではないだろうか?
まずは形式から始まり、番台へ、そして細部の
形状の違いに至る。終いには悦に入るという
パターンである。

ということで、私も、悦に入りたいと思う。
さて、掲載写真の485系、特に九州地方の
それは、時代とともに顔を変えてきた跡が、
よく分かる。
貫通扉の廃止、タイフォンのスリット化、
JNRマークの貼り付けなどなど。
それが、永きに渡って使われたことの証で
あるが如きに。
残念ながら私には、編成を特定するまでの
知識は無いので、他の方の知恵をお借りすると
と、485系最後の記録という素晴らしい
サイトがある。

このサイトのタイフォンの記事より、
写真の編成は、どうもDO-2編成の様だ。

本編成は、すでに廃車になった様ですが、
こうして、今、知ることができるとは
デジタル写真とインターネットのご利益だと
痛感した夜更けでした。
最後に。。何度でも紹介してしまう、
山本先生の名作を取り上げます。
しゅっぱつしんこう! (福音館の幼児絵本)

しゅっぱつしんこう! (福音館の幼児絵本)

  • 作者: 山本 忠敬
  • 出版社/メーカー: 福音館書店
  • 発売日: 1984/11/22
  • メディア: 単行本

LSE に求める癒しの空間 [JITOZU_車両]

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引退も告知されている、ロマンスカーLSEの
恐らく前面展望室の写真である。
キャプションが正しければ、3月の日曜
16:00台。
ロマンスカーで帰るのには相応しい時間帯と
感じる。
なぜならば、ロマンスカーの特にLSE展望車は、本当にリラックスできると思うからだ。
例えば、この写真。
少々分かりにくいが、夕方のLSEの
後部展望車の様子だが、旅の疲れも
あるとは思うが、折角の展望車なのに
ほとんどの乗客が寝入っている。
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その理由の勝手な推測は、
LSEのインテリアデザインの影響だ。
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低い天井と、間接/ダウンを中心とした
ライティング。
そして、パノラマウィンドウ。こられらが
要因ではなかろうか?
つまり、ちょとした狭小空間に流れる
アンビエントな映像と、優しい光。
これは、天然のヒーリングゾーンです。
しかし、VSEに対しては、またちょっと
違う展望感考察がありますが、
それについては、次の機会に譲り
たいと思います。

富山ライトレール の 温故知新 [JITOZU_車両]

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参照MAP
富山ライトレール、TLR0600形の写真である。キャプションの先進的な...という表現が似合う運転台だ。
私もかつて、開業間もない同線に乗車したが、
沿線の旧富山港線の風情と、車両を含めたライトレールというシステムの新旧のコントラストに、軽い衝撃を受けた。
その運行の仕組みや設備は、外国のライトレールと全く遜色がない。むしろ、先進的だとさえ感じたのである。

それは、富山港線という既存の路線を最新のシステムで活用した点なのだが、そんなことは、方々で語られているから、当たり前のことだ。
そこに、私が付け加えたいのは、東岩瀬駅の保存だ。

この木造駅舎を保存することが、地元に対してLTRの導入の、自然な流れに一役買ったのでは?とさえ感じた。そして、訪れた人には、かつての路線の風情を提供してくれるのである。

ということで、皆さんぜひ、富山ライトレールに乗って、東岩瀬駅を体感してみて下さい。

ちなみに、ライトレール導入の経緯は、下記サイトに詳しいです。
富山のコンパクトシティはLTRから始まった



長岡での115系 [JITOZU_車両]

ニイ28編成と思しき写真である。
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窓に写り込んだ駅の様子から、
キャプションにある長岡駅の風情を感じる。

個人的な話になるが、大学時分に友達に
会うた夏冬問わず、よく長岡を訪れた。

そして、友達が引っ越し用が無くなると、
こんどは、寝台特急あけぼので訪れること
になら。と言っても、機関車交換の運転停止
のためだけれど。

寝台廃止後は、訪れる事もななかったが、
その間に、長岡の115系運用が終わったようだ。

このサイトでは、115系に対する
筆者の思いを、ひしひしと感じられる。

私は、そこまでの感情は無いが、
それなりに寂しいと思う。

そして、もっと写真を撮っておけば良かったとは、きっとこの事だろうなと思います。



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