富士急の駅のよもやま ハイランド駅と葭池温泉前駅 [JITOZU_施設]
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なんだこの写真は?
富士急が、南武線並みに混んでるぞ。と思ったら、欅共和国という、けやき坂46のライブイベント後の様子だ。今年は、3日間でのべ、4万5千人の人出だったらしい。
同イベントの鉄道の利用人数は、分からないが、富士急にとってもうれしい悲鳴だろう。私が、当駅を利用したことがあるのは、富士急ハイランドにスケートに行った時のことだ。しかしながら、駅の印象が全くない。富士急のホームページによると、当初は、ハイランド駅として開業した当駅は、日本で初めてのカタカナ名の駅とのこと。
そもそもハイランドは、英語で高原、高地などを意味する。ランドは”国”という意味と掛けていると思うが、そのままだと富士急高原である。なかなか、思い切った名前だ。
私が思い入れのある富士急線内の駅は、葭池(よしいけ)温泉前駅だ。温泉に入る為に行ったのだが、駅は温泉駅の名に似つかわしく無い一面一線の無人駅。降りた瞬間、不安な気持ちになる。周りには人家があるが、人気は無い。駅から5分ほど歩くと鬱蒼とした林の中に温泉があった。
創業安政三年という超老舗だが、ここでも驚かされた。温泉は、着替え場と洗い場に仕切りがないのだ。そして、五人ぐらいで一杯になってしまう浴槽。熱い湯に水位なのか温度なのか忘れてしまったが、自動的に水が足される。また、広く落ち着く座敷は、昔は宿だった事をうかがわせる。
味のある温泉体験に、ぜひオススメである。
話がだいぶ飛んでしまったが、富士急の駅は味わい深い駅多いので、またゆっくり訪ねてみたい路線だ。
向ケ丘遊園駅 駅舎に見る 田園都市思想 [JITOZU_施設]
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写真は、小田急電鉄の向ヶ丘遊園駅の写真である。かつては、向ヶ丘遊園という遊園地があった。今は、その名を駅のみが残している。当駅は、線路を挟み反対側にも改札が、ご存知だろうか。私としては、そちらの改札をお勧めしたい。それはなぜか?
この駅舎を見て頂きたい。昭和2年の開業当初より使われている建物だ。
著者撮影
この独特の屋根は、建築的にはギャンブレル屋根と言うらしい。近隣の同系の駅舎として東急の田園調布駅があるが、こちらは、マンサード屋根と呼ばれ、形式が異なるそうだ。異国情緒溢れる建物だが、なぜここにあるのだろうか?
鉄道ジャーナル12月号の記事、
木造駅舎の証言によると、この駅舎は、ハワードの田園都市論の影響があると言う。
つまり向ケ丘遊園は田園都市計画の一端を担う予定だったのでは無いかと。真偽のほどは確認が必要だが、こちらも田園調布の開発と同じ思想だ。もっとも田園調布駅の開業は大正13年なので、いくらか、向ケ丘遊園の方が後輩だ。
現在、当駅周辺は、田園調布駅で成功した田園都市構想の印象は、あまり無い。しかし駅舎は現役であり、当時の小田急の拘りをシンボリックに主張している。何か時代錯誤な印象も受けるが、向ケ丘遊園という東京でもなく遊園も無くなり名前だけ残る当地では、却って良いのかも知れない。
カプセル駅舎の夢の跡 [JITOZU_施設]
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国包駅と題されたこの写真は、三木鉄道の、くにかね駅跡を写したものである。
三木鉄道は、播州鉄道、播丹鉄道を経て戦時買収により国鉄線となる。その後、1984年に第三セクターとして営業。2008年に廃止された路線だ。その過程は、まさに日本の鉄道史の縮図である。
さて、Wikipedia
によると、この国包駅の駅舎は”無人駅における簡易な駅舎の設置の嚆矢となった”駅だそうだ。
そのような駅舎のことを、カプセル駅舎と呼ぶそうだ。それは、どのようなものか?
轍のあった道というサイトで、古津駅を例に軽く紹介されている。
それによると、もっともわかりやすい特徴は、窓やドアのサッシにRが付いているという点の様だが、これが見分けの特徴なのか、はっきりとしたことは、分からなかった。
ただ、上図の鉄道建築協会発刊の国鉄建築のあゆみIIには、国包駅は、肥後高田駅や小江駅とともに”不燃性で耐久性のある(中略)現代感覚にデザインされたカプセルタイプの代表例であり”
とある。
という事で、当駅がカプセルであることは間違えなさそうだ。因みに小江駅は、当駅に似た駅舎だが肥後高田は直線的な構成だ。
昭和の50年代に隆盛を極めただろう、カプセル駅舎もかなり老朽化が進んでいるだろうし、この国包駅の駅舎も取り壊されてしまった。
写真の作者は、それを懐かしんでこの写真を撮ったのかも知れない。
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お茶の水駅の温故知新 [JITOZU_施設]
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この写真は、聖橋から神田川橋梁、そして、松住町架道橋を写したものと推測される。
この辺りは一帯は東京メトロの神田川橋梁もあり、橋を中心にしたダイナミックな景観を見ることができる。
この辺りと言えば、お茶の水駅周辺の地形は独特だ。神保町からお茶の水駅まで、なだらかに登っていくのだが、そこから一気に神田川で落ち込む。
地図上でみると、神田川は江戸城があった皇居を中心に、外周を囲むように出来ている。明らかに人工的なこの川は、惣構えと呼ばれる防御システムだ。
もともとは、台地だったこの場所に、川を開削することで崖を作り防御した。
その後、まず甲武鉄道(現•中央本線)のお茶の水駅が作られた。その際、景観、道路交通への配慮が求められ、現在の川の縁を縫うように敷設された。そこに、総武線が接続した訳だが、大きな道路に加え彫り込まれた川をまた都合上、高架を伴い橋が連なる現在の形になった。
何とも所以の多いところだが、駅改良工事も進んでおり、また新しい姿を見せてくれるのだろうか?
駅名標はおもしろい [JITOZU_施設]
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写真は、ひたちなか海浜鉄道の阿字ヶ浦駅、駅名標だ。なんとも、個性的な駅名標だが、このようなものがあるとは知らなかった。
調べてみると、小佐原孝幸さんというデザイナーが、同鉄道の活性化の一環としてデザインしたものだそう。コンセプトは見ての通りの地域の名産、名勝を表意文字の図案として取り入れることで、
アピールするというものだ。
氏曰く
デザインの力が社会に対してできることはまだまだたくさんあります。(中略)地域の魅力は地元の人にとっては「当たり前」で、気づいていないことも多く、外部の人間のほうが魅力に気づくということもあります。そう考えると、ひたちなか市に縁もゆかりもない自分が関わった事にも意味があったのかなと思います。とのこと。
引用元 Creator' Station より
実際、写真の駅名標からも当地の名物を読み取ることができるし、2015年のGマーク受賞など、メディアへの露出により、同鉄道の知名度アップへも貢献しているだろう。
私は、どちらかと言うと乗り鉄だが、駅名標は、乗り鉄にとって車両とともに路線の変化を感じる大切な情報だ。見慣れぬ駅名標からは遠くに来たと実感し、お馴染みのそれを目にすると安心感が湧いてくる。ともあれ、ついつい見てしまうのが、この駅名標だ。
以前は、それを利用した看板もよく見られた。個人的に頭をよぎるのは、縦書きのホーロー板の下の、"本場の味 サッポロビール"の看板である。これを見ると、あぁ、北海道に来たのだと実感できる。
苫小牧にて、撮影著者。
それから、最近気になっているのが、日豊本線の宇佐駅の駅名標だ。
宇佐は、ローマ字表記でUSA。それを利用したアメリカ国旗を模した名勝案内図。しかも、積極的に宣伝しないところが、感じ入る。
参考 ねとらぼの記事
ひたちなか海浜鉄道の様に、分かりやすいのも良いけど、個人的には宇佐駅の様に、ちょと仕込んである方が好みというのは、ネタを喜ぶ鉄道好きの性であろうか?
熊本の甲子園 [JITOZU_施設]
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写真は、2017年に撮影された熊本駅である。
1991年に水戸岡氏の手によりデザインにより改築された。
前回取り上げた、氏の著作、電車をデザインする仕事によると、そのモチーフは甲子園球場だそうだ。その理由は、"そのときに壮行会を熊本駅で行なったのですが、大勢の人が押し寄せたために選手たちがまったく見えなかったのです。そこで、「(中略)駅にお立ち台を作ってあげよう」"ということから、甲子園球場に因んだ建物としたらしい。
中川理氏の著作、偽装するニッポン: 公共施設のディズニーランダゼイションでは、その土地の名産や名物を積極的に駅舎と取り込んだ公共建築を建築のディズニーランド化として扱っている。
代表的なものとして、五能線の木造駅の土偶駅舎などである。
写真の熊本駅も、そうなのかな?と思ったが、ちょっと違う様に思う。
甲子園球児を、駅舎上に立たせたい。その発想は、地域広報という観点を超え、甲子園球児=地域一丸となって応援する対象という普遍的なテーマを扱っている。
それは地域の内部から生じる特産、名産とは異なり、駅前の高校球児パレードを見たデザイナーの、やっぱ高校野球でしょといった外野からの指摘だ。そこが、ディズニーランダゼーションと一線を画す所以ではないだろうか。
その指摘を、ストレートに表現すると甲子園球場がモチーフになるのだろう。
しかし、歴史的な建造物をモチーフとした建物は多々あるが、球場がモチーフとは、聞いたことがない。しかも言われないと気がつかないほどである。
そういった意味で、"何だか気になる"ことが、この駅舎の目的なのかもしれない。
電車をデザインする仕事: ななつ星、九州新幹線はこうして生まれた! (新潮文庫)
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岩見沢駅の ばんば [JITOZU_施設]
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写真は、岩見沢駅のばんば像だ。
岩見沢駅といえば、最終SL旅客列車が走ったことで知られているが、ばんえい競馬も熱かった様である。
当地には、かつて競馬場があり、ばんえい競馬も盛んに行われていた。
この像は、その関係で馬主会が昭和55年に立てた木彫り像だ。銘板によると、
作者は中川貞司氏。旭川在住の作家で、木彫ナカガワを主宰されている。
その氏による像は、ばんばらしい躍動感があり素晴らしい像だと思う。
などと偉そうに言っているが、私は、ばんえい競馬を、これまでに二回ほどしか
見たことがない。帯広競馬場でのことであった。
初めて見た日は、秋から冬にかけての寒い日だった。レースは30分間隔で行うので、
一先ずあったかい飲み物を飲み、体を温める。
競馬場内はスタンドの中に、馬券売り場、売店などがあるが古さはあるが、
こぎれいで驚いた。そして、あてずっぽうに倍率が真ん中辺りの馬券を買う。
いよいよ、ばんばがゲートに入る段になって、コース脇にでる。脇で見ているのは、
熱心なファンと子供たちで、その中に私も加わった。ゲート近くに足を運ぶと、
ばんばの息遣いが聞こえた。ばんばの大きさがよく分かる。スタートの合図と共に出走。
その進みは、とても緩やかだ。だから、力強い馬の動きを共に歩きながら見ることができる。
重い橇を全身の筋肉を使って、砂を蹴り進んでいく。ここで、差がつき勝負あり!
と思うのは早計で、行く手を、こんもりとした山型の障害が塞ぐ。
山の前後で一旦停止。各馬の差が一気に詰まりレースは分からなくなる。そんな事を
二山の間で繰り返す。結果は最後まで分からないのだ。地元の人によると、この駆け
引きこそ、ジョッキーの力量が出るそうだ。先行して長めに休ませるか、ゆっくり向かい、
その流れでボチボチ行くか。何れにしても山の上り下りの迫力には眼を見張る。
それこそ私が一番感動し、魅せられたシーンだ。
さて、下の画像は、林 拳示郎氏の写真集、BANEIの一葉だ。
初めて見た、ばんえい競馬に胸打たれその場で買い求めたものだ。
私にとっての"ばんえい"、それは、とにかく馬の生命力を、
肌身感じられる競技である事は間違いない。
経営的には厳しい様だが、長く続いて欲しいと願うばかりだ。
八幡製鉄所 から スペースワールドまで [JITOZU_施設]
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この写真は、東田第一高炉史跡広場からスペースワールド駅を撮影したものだ。
そもそも、私は、"東田第一高炉"をよく知らなかったのだが調べてみて分かったことは、八幡製鉄所の最初の高炉であり1901年に操業を開始した、記念碑的な高炉である事だ。
そして現在は、時代の変遷により製鉄所跡の広大な敷地は再開発地区となり、この高炉を産業遺産として残し、スペースワールドといアミューズメントパークになっている。そのスペースワールドも2017年末には閉園になる予定だ。そして跡地は、アウトレットモールになるそうだ。
小さな漁村から殖産興業の申し子となりバブル期のレジャーを支え、こらからはデフレ消費の下支えと、まさに時代を象徴する土地だと思う。
さて鉄道だが、もともとスペースワールドという駅は無かった。試作中の年代別路線図付き版のJITOZU(下図)によると、1990年以前は、鹿児島本線のルートは、敷地を迂回していたことがわかる。
それを、1999年に再開発の一環として移設された様だ。確かに、ルートも短くなり旅客のメリットも大きいが、移設とは大胆な決定だ。
因みに、スペースワールドの閉園後も、
駅名は残すことが発表されているが、同じく閉園したアミューズメントパークの小田急線、向ヶ丘遊園駅も駅名はそのままだ。
現在の東急電鉄の二子玉川駅もかつて二子玉川園と名残り閉園後15年を経て二子玉川に改称したが、スペースワールド駅も人々の思い出に残っている間は駅名が残るのかもしれない。
五百羅漢とマンションと駅と [JITOZU_施設]
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写真は、伊豆箱根鉄道大雄山線の五百羅漢駅だ。
ちょっと低めの屋根、駅看板、車両、そして背後に小田急の築堤と色々な要素がコンパクトに収まっていて、想像を掻き立てる楽しい写真と思う。
この五百羅漢駅、私も訪れたことがあるが、なかなか面白い駅だった。
まず、五百羅漢だ。羅漢様は駅から徒歩5分弱の玉宝寺に安置されている。
本堂は、扉が閉められていて入りづらい。私は、庭木を手入れしている地元の方に断って入った。開いていれば自由には入れそうであるが、入りづらいことこの上ない。
(五百羅漢の様子 著者撮影)
本堂に入ると、それを取り囲むようにして配置されている。羅漢様は、制作年代によるものかテイストが様々であり、見ていて飽きない。また、本堂の薄暗い光と調和して、背景が闇になるため、空間の広がりを感じた。
そして、お次は駅舎である。
(五百羅漢駅舎 著者撮影)
この駅は、マンションと一体化している。
そのため駅へのアプローチは、まるでマンションのエントランスの様だ。
そして駅改札口は、さしずめ管理人室のような構えである。
何だか、"マンション住まいの友達の家に遊びに来た"感覚に陥るのだ。
そしてホームに上がると今度は、どこぞの田舎の駅ような風合いなのだ。五百羅漢から駅へ向かいホームに上がる。
今回、取り上げた写真の様にホームからの眺めだけでなく、周囲の環境もコンパクトな体験の中で、様々な記憶が呼び起こされる。そんな駅が五百羅漢駅だ。
小樽 の 石原軍団 [JITOZU_施設]
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小樽の石原裕次郎記念館が、今年の8月末に閉館すると聞く。
そこで思い出したのが、小樽駅だ。ということで写真の小樽駅を取り上げさせて頂きます。掲載時刻=滞在時刻であれば夕刻の小樽駅であろう。
この時刻あたりからは、小樽駅名物の北一硝子のランプがともり、壁面を美しく照らす。
HOKKAIDO LIKERSというサイトによると、小樽駅は2012年に改装しより行って楽しい場所になったとの事。
私が当駅を最初に訪れたのは、1990年代後半のことだ。改装前の駅舎やホームも瀟洒であり手入れの行き届いたとても感じの良い駅だった。
そして、もう一つ忘れてはならない?のが、石原裕次郎記念館に関連して、二つ隣の小樽築港駅に隣接するマイカルあった"石原プロワールド・西部警察"という施設だ。あの西部警察をテーマにした日本で唯一のアミューズメントパークである。先ずはエントランスが強烈で、床面には何やら文字が書いてある。何かとおもえば、スタッフが食べたインスタントラーメン量、徹夜の日数など、貴重?な情報が入口まで続きちょっとテンションが上がる。
そして、入場料1200円のライド型アトラクションを体験することになる。
展示内容は、ドンパチの音響と共に、撮影に使われた車(RS-2など)など、シーン再現風に置いてあった。しかし、人形が顔なし黒タイツマネキンだったり、展示がスカスカだったりで、正直何とも、値段に釣り合わぬ残念な印象だった。
結局、石原プロワールド・西部警察は、二年ほどで閉館となる。まあ、しょうがないよねと思いつつ、今となっては、貴重な体験となった。
残念ながら、その時の写真が見つからないのだが、当時様子はこのサイト
で少し分かる。
そんな思い出の残る小樽行き、他にも余市に関する話題もあるのですが、長くなりそうなので、またの機会に譲りたいと思います。